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カノン

~SELL 8 歌声~


――彼女の歌声に、存在自体に魅せられる人は多くいる。


 三月下旬。
 歩の退院から二ヶ月ほどが経ち、検査結果も順調であり特に体調を崩すこともなく、無事に春を迎えていた。少しずつ暖かくなっている。
 妊娠七ヶ月目に入って早二週間ほど。歩のお腹も段々と大きくなってきて。僕もようやく、歩が妊婦の雰囲気を出してきたように思えてきた。
「やっぱり、水蓮寺さんってすごいんだね」
「そうですね」
 さて、こんな会話が僕たちの間では交わされている。
 今いるのは日本武道館。某放送局の二十四時間テレビにも使われたことのある、あの日本武道館に僕と歩はいるんだ。しかも、関係者しか立ち入ることのできない場所に僕たちは来ていた。
 なので、僕と歩は「招待者」という特別な札を首から提げていた。それなのか、スタッフらしき人と会うとやたらと丁寧に挨拶をされる。
 僕と歩がここにいる理由はただ一つ。
 あのアイドル、水蓮寺ルカに今日行われるコンサートに無料で招待されたからだ。二週間くらい前に千桜さんから受け取った。
『妊娠祝いとたぶん結婚祝いを込めてね。あと、私の歌を聞けば良い胎教になるんじゃないかしら』
 というのが、千桜さんから聞いたルカさんのメッセージだった。
 といっても「胎教」ときたか。確かにルカさんの曲もいいかもしれないが、僕はどちらかというと歩の好きな『カノン』を聞かせてあげたいところ。
 しかし、歩はそのチケットを見た瞬間に大喜び。もちろん、歩が喜ぶのが第一だと考えていたので、体調も良好ということで僕と歩はここに来ていたのだ。
「私たちだけなのかな? 招待者って」
「そうですね……僕たちだけだと思いますよ。みんながみんな招待されたら、きっとルカさんも破綻しちゃいますし」
「でも、約一万人分のチケットが即日完売なんてさすがだよね!」
「まあ、アイドルでもアーティストの方でも武道館満員の中でのコンサートは、一つの大きな目標として掲げる人は多いですからね。ルカさんはトップアイドルですよ」
「そんな人と知り合いで招待されるなんて……スタッフの人も丁寧に扱ってくれるし、ちょっとくらい胸を張ってもいいかもしれないね」
 と言って、本当に歩は胸を張った。いや、どちらかというとお腹の方が張っているが。
 妊婦向けの服を着始めているが、少し違和感があるな。学年末試験が終わるまでは制服を着て学校に通っていたからだろうか。
 あれから、歩は学校に通い続け……学年末試験も無事に終わることができた。これなら、三年へと進級できるだろう。もちろん僕も勉強も頑張って、まずまずの成績を取って三年へと進級する予定だ。
 しかし、歩のこの態度に……スタッフは何一つ顔色を変えないぞ。やっぱり、招待者だからか接し方違うのかな。
「歩、何だか恥ずかしいから止めてください」
「ちぇっ、少しくらいは反応してくれたっていいのに」
「たぶん、一般人だったら即刻追い出されると思いますよ」
「まあいいや、水蓮寺さんに招待されただけでも凄く満足してるんだもん」
「コンサート前に満足してどうするんですか」
「それはそれ、これはこれ」
 歩はそう言うが……。
 いわゆる、「甘い物は別腹」というような類の理論が歩の中ではできているんだろう。僕には難しいだろうけれど。
 とにかく、僕はルカさんの楽屋へと向かっている。スタッフの人に訊いてみると、この近くらしいのだが……。
「おーい、ハヤテ君に西沢さん!」
「あっ、水蓮寺さん!」
 響き渡るアイドルの声に、その場にいたスタッフが一度ルカさんの方に向く。ああ、これがアイドルの力なんだなと思う。
 そして、ルカさんは僕たちに手を振っていた。歩がそれに手を振って答える。
 ルカさんは赤いロングスカートに白いTシャツ姿だった。たぶん、本番前……着替えやすい服装にしているんだろう。
「よく来てくれたわね。待っていたわ」
「今日はその……私とハヤテ君を招待してくださってあ、ありがとうございますっ! わ、私……招待されるなんて初めてのことなので、わ、私……昨日は全然眠れませんでした!」
「もう……妊婦なんだからちゃんと睡眠を取らなきゃダメじゃない」
「でも、朝寝をしてきたので眠気はバッチリ取れました!」
「なら、今日のコンサートは大丈夫ね」
 たしかに、昨日の夜から歩は今日のコンサートを楽しみにしていた。早めに寝ようと思って、日をまたいだところで僕が寝ようとした時もまだ起きていた。それだけ、歩は楽しみだったのか。
「ハヤテ君も来てくれてありがとう」
「二人分のチケットがありましたからね。まあ、一人分だとしてもどうにかチケットを買って一緒に行くつもりでしたけど」
「そう、でも……ここは関係者以外立ち入り禁止なんだな」
「まあ、それはそうですけど」
「あははっ、私は最初からハヤテ君と西沢さんの二人分を贈るつもりだったわよ。あと、あなたたちの席は最高の場所に取ってあるから」
「わあっ、楽しみだなぁ!」
 歩は武道館に入ってきてからずっとこのテンションだ。もしかしたら、歩の中に流れるアドレナリンがお腹の中にいる赤ちゃんにまで行き渡っているかも。
「さあ、私の控え室の中に入って」
「入ろうよ、ハヤテ君」
「ええ、そうですね」
 僕と歩はルカさんのご厚意に甘え、ルカさんの控え室の中に入った。思った感じよりかは広くはなく、落ち着ける空間になっている。僕と歩はソファーに座る。
「ふかふかで気持ちいいね、ハヤテ君」
「そうですね。少しだけ三千院家の屋敷での暮らしを思い出します」
「これがアイドルって感じなのかなぁ」
――いや、別にアイドルでなくても座れますしね。
 まあ、コンサートを見に来た客からすれば……招待されるだけでも凄いことだというのに、控え室に呼ばれてソファーでくつろいでいるとなれば、もはや別次元にいるような感じだ。
 ルカさんはそんな歩の側まで寄ってきて、
「そういえば、もう妊娠七ヶ月目だったっけ?」
「ええ、そうなんですよ」
「今年に入ってからは一度も会っていなかったから、もう何だか随分大きくなった感じがするわ。お腹を見れば一目瞭然だわ」
「えへへ、時々動いているのが分かるんですよ」
「へえ……」
「よかったら触ってみませんか? きっとお腹の赤ちゃんが喜ぶと思いますよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 ルカさんはゆっくりと右手を歩のお腹に触ると、
「初めまして、私が水蓮寺ルカよ。今、一番に売れていると思うアイドルで……今から武道館でコンサートをするの。あなたもとくと私の魅力に取り付かれなさい」
「ルカさん! 何を変な胎教しているんですか!」
「変? 私はただ事実だけを話したつもりだけど……まあ、少しだけ大げさには言っているけれど」
「それにまだ生まれてもないのに魅力に取り付かれるかというよりも、魅力が分かるのかどうか……」
「そ、それはアイドルに対する挑戦状じゃないかしら!?」
 ルカさんは可愛らしく怒っているが、確かに……歩がこれだけ喜んでいるんだ。きっと、お腹の中の赤ちゃんも好きになってしまうかもしれない。
「まあ、今日のコンサートが胎教になると思いますので……ルカさんが頑張って歌ってくれると私は嬉しいです」
「そ、そう? だったら今日はいつもよりも頑張っちゃおうかな?」
 おお、歩、ナイスフォロー。
 ルカさんは歩のその言葉に舞い上がったのか、再び歩のお腹を触って「今日はあなたのために頑張るよ」と意気込んでいた。
「そういえば、千桜から電話が来ていたわ。今日、このコンサートにナギと一緒に来ているみたいよ」
「そ、そうなんですか!」
「ナギちゃんも千桜さんもそんなこと一言も言ってなかったよね」
 たぶん、そのことを知ったら自分たちだけ招待席でコンサートに行ってしまっていいのだろうかと思うからだろうな。二人は僕たちに気を使って……。
「でも、同じ会場にいるんだから場所なんて関係ないよね。ハヤテ君」
「そうですね……」
「まあ、私はナギちゃんと千桜さんも一緒でも良かったけど……でも、今はハヤテ君と二人で一緒にいたいからこれで良かったかな?」
「歩……」
 ああ、歩の優しさに僕は思わず涙が出そうになった。
 そうだよな、お嬢様も千桜さんも……僕と歩と同じコンサートを見るわけだし。それに、歩が僕と一緒にいたいというなら……。
 ルカさんもうんうんと頷いていた。
「あと、西沢さんは病気に罹っているらしいわね」
「ええ、でも……検査結果は良好ですよ。担当の先生にも普通の生活をしていても大丈夫だって言われていますし」
「そう、ならいいけど……私が力になれるかどうかは分からないけど、あなたのために頑張って歌うわ」
「もう十分に元気はもらっていますけどね」
「……何だか今日は気持ちよく歌えそう。そろそろ準備をしなきゃいけないから、ハヤテ君と西沢さんは私の用意した席に行って」
「じゃあ、そうしましょうか。歩」
「そうだね」
 僕と歩はルカさんに手を振って、控え室を出て行った。
 控え室の外には僕らが招待者なのか、僕と歩の席までありがたいことに案内してくれた。既に人が埋め尽くされる中で、一番最前列の真ん中の二席。
 きっと、ルカさんが出てきたら正面に見えると思われるような……まさに、最高の席に僕と歩は座った。
「ここなら確かに水蓮寺さんをはっきりと見られるかもね」
「そうですね」
「ああ、早く始まらないかな……」
「きっともうすぐ始まりますよ」
 コンサートの開始を心待ちにしていると、僕の携帯電話が震えた。画面を見てみると、新着メールが二件。
『おい、スタッフの人間とお前らを見かけたが今、どこにいるんだ?』
『綾崎君と西沢さんの姿を見かけたとナギは言っているが、今、どこの席に座っているんだ?』
 恐ろしいことに同じ内容のメールが飛び込んできた。ちなみに、前者がお嬢様で後者が千桜さんだ。
 千桜さんは僕たちが招待されたことは知っているから、とりあえず……。
『ルカさんに用意してもらった席に座っていますよ。ちなみに、一番最前列の真ん中の席です^^』
 と、できるだけ喜びを表現して……。
 僕はお嬢様と千桜さんに一斉送信をした。二人がどの席に座っているのか訊けば良かったかなと思ったけど、まあ、アパートに帰ったらゆっくり話すことにしよう。
「誰からかメールが来たのかな?」
「ええ、お嬢様と千桜さんから。しかも同じ内容で、僕たちがここに来るのが見えたからどこに座っているのか教えてほしいって」
「ひょっとして羨ましがってるのかな?」
「意外とそうかもしれませんよ」
 僕たちがこうして話している間に二人からメールは来なかった。
 まあ、もうすぐコンサートが始まるし……集中するために携帯の電源は切っておこうかな。
 携帯の電源を切ると同時に、武道館の照明が消えていく。話し声が耐えなかった武道館内も段々と静寂に変わっていく。
 武道館内は通路案内の灯りを覗いては全て消えて……音も一切なくなった。
 十秒ちょっとの間、音も光もない空間に包まれる。
 そして――。


「さあ、みんな! 今日も盛り上がっていくよ!」


 ルカさんの声が武道館内に響き、スポットがルカさんに当てられる。
 同時に音楽がスタート。
 曲名は『僕ら、掛け行く空へ』。
 アップテンポなこのコンサートの始まりにはふさわしい曲と共に、観客席からの声援がさっそく巻き起こっていく。
 ルカさんの服装は黒いドレスで、ノースリーブで胸元まで大胆に露出して……下半身は太ももまでこちらも大胆に露出している。
「きゃあっ! ハヤテ君、歌ってるよ!」
 歩の出す声は何故か僕に語りかけてくる声が多い。興奮しすぎている所為か、声を掛けるべき相手が分からなくなってしまったのだろうか。
 しかし、僕たちのいる席はかなりルカさんに接近している。僕たちは招待されているのか、曲の1タームごとに僕らに手を振ってきたりウインクをしてきたりなど、招待されたなりのサービスを受けている。
 確かにこれなら歩が僕に興奮して言ってくるのが分かる。実際に、僕も少しずつ興奮してきた。
「きゃー! こっちに手振ってくれてる!」
「そうですね!」
 確かに、テレビや雑誌で見るアイドルを生で見られるとなったら……ファンは大喜びなんだろうな。コンサートが即日完売になるのも分かる。
 コンサートは順調に進んでいく。
 曲が変わる度に素早く衣装が替わり、ステージのパフォーマンスも唸るほどだ。僕と同じ年代のアイドルでは考えられないくらいに完成度が高い。
 去年の五月のことを思い出すな。お嬢様と千桜さんがルカさんの同人誌を販売しているとき、僕は何故かコスプレをして……。
 思えば、ルカさんとの出会いはある意味衝撃的だったとも言える。そして、あんまり思い出したくもない感じだ。それから一時期、僕のことを女の子だと勘違いをして接していたから……。
「どうかしたのかな、ハヤテ君。盛り上がらないと損しちゃうよ」
「いや、ちょっと思い出に浸っていまして」
「思い出?」
「ルカさんと初めて出会った日は、今日みたいなコンサートの日だったんですよ。その時に僕は色々とあって衣装出しとかして……思えば、客席からルカさんのコンサートを見ることは初めてだったりします」
「そっかぁ」
「その時も武道館でライブをして……少しだけ懐かしいですね」
 あれからもルカさんはファン層を拡大して……今回のコンサートは二日連続で、どちらも満員御礼。
 普段のルカさんを僕は知っているせいか、こういう時のオーラはやはり凄い。凄く輝いている。
「ふうん、ハヤテ君ってその頃から知り合いだったんだ……」
――なんでその時に教えてくれなかったの?
 何だかそう受け取れるような嫉妬のような表情を歩はしていた。ルカさんよりも今の歩の方がよっぽど可愛い。
「まあ、こうしてルカさんとお友達になれたし……全然気にしてないよ」
「そうですか」
「よし! ハヤテ君もこれ持って盛り上がろう!」
「えっ?」
 すると、歩は持ってきたバッグの中からペンライトを取り出した。僕はペンライトを一本渡される。
「これを振ったり回したりするんだよ」
「いや、それは分かりますが」
 周りにやっている人がいるのか……?
――普通にいた。
 どうやら、僕みたいにペンライトを持ってこない人の方が少ないようで……僕もこの空気に乗るためにペンライトを振る。
 あの時のコンサートは手伝いをしていたから分からなかった。
「きゃーっ! ルカちゃん可愛いっ!」
 歩のテンションが最高潮に達してきている。ルカさんもその言葉に反応したのか、歩に投げキッスをする。
 歩はそのことで頬を赤くして、僕の方に身体を傾けていく。
「あ、歩!?」
「ルカちゃん可愛いよぉ……どうせなら頬にしてほしいよぉ……」
 一瞬、体調を崩したかと思ったけれど違ったか。
 すっかりと歩はルカさんの魅惑の虜になっている。まったく、僕の愛しい人を奪わないで欲しいところだ。
 僕は歩の頬を軽く叩いて正気を取り戻させる。すると、歩ははっとして、
「えっ? 今、私……どうしちゃってたのかな?」
「興奮しすぎて疲れただけですよ」
「ご、ごめんね。ハヤテ君にもたれかかっちゃって……」
「いいですよ。さあ、ペンライトを持って楽しみましょう」
「うん!」
 歩は体勢を元に戻して、僕たちはこのコンサートの主役の方に身体を向けるのであった。
 それから約二時間が経過して。
 コンサートは終盤に差し掛かっていた。さすがに長時間歌い続けているせいか、ここでルカさんのトークに入った。
「今日はみんな、私のコンサートに来てくれてありがとう!」
 その言葉に客席のファン達は「ありがとう!」と歓声が上がる。ステージに立っているルカさんは嬉しそうに笑った。
 スポットライトでルカさんの汗が煌めいているように見える。ルカさんはスタッフの人からもらったペットボトルの水を一口飲む。
「前にも武道館でライブをしたことがあるんだけど、その時は一日だけだったんだけど……今回は二日間、しかもどちらもたくさんのお客さんがこうして集まってくれて、本当に嬉しく思っています」
 ルカさんは軽く頭を下げると、再び歓声が上がる。
「あのコンサートから色々とあったけれど、やっぱりみんなと直接会うことが一番楽しいことだというのが改めて分かった気がします」
 こういうコンサートはファンと一つになれるから。やはり、アイドルやアーティストの方々がライブを何よりも楽しみにしているのが分かる。
 ルカさんはそのことにひたすら感謝をしているように見える。真っ直ぐなその姿勢が、日々、ファンを多くしていっているんだろう。
「また、これからもテレビや雑誌やCDで……皆さんに触れられる機会があると思います。その時はまた宜しくお願いします」
 今度は深く頭を下げる。ルカさんの言葉一つ一つに客席から歓声が上がっている状況だ。ルカさんの話はまだ終わらない。
「今日、このコンサートに招待した方が二人います。一組の夫婦とも言っていいかもしれません。個人的なことを言って申し訳ないことを先に言っておきます」
 その二人って……もちろん、僕と歩のことだよな。
「今、私の友人の一人が……妊娠をし、そして病気と闘っています。私は何も力になることができずに、何かできないかと探していました。私は必死に考えて、その人に……歌を届けようと決めました」
 武道館内は先ほどとは打って変わって、静寂へと向かっていく。
「私はその人のことを思い、今日、初めてこの曲をその人……招待した女性とその恋人にこの曲を贈りたいと思います。それでは、聴いてください」
 ルカさんはマイクを両手に持ち、ゆっくりと目をつむった。
 今まで僅かにでも聞こえていた声が、全て消えていた。お客さんからも、演奏者の人たちからも、そして、ルカさんからも。
 僕は歩の方をちらっと見ていたが、真剣な表情でルカさんの方を見ていた。
 そして、スタンバイができたようで……。ルカさんは曲名を言った。


――『涙雨』。


『涙雨』(※)



「ねえ、今、泣いているの?」
通り雨が降り始めてる
「いや、これは違うよね?」
全然降り止まないよ

空を見上げると 雲が暗くなり始める
僕も何だか哀しみに濡れる

これが君の涙なら
水たまりに問いかけてみる
「どうして僕の顔が見えるの?」
だって泣いてるんだったら
理由があるはずなのに
僕に弱さを見せたっていいのに


「ねえ、今、怒っているの?」
雨が強くなり始めてる
「そう、でも当てないでね?」
僕が悪くなければ

傘を広げても 冷たさが伝わり始める
肌で何だか哀しみを感じる

それが君の涙なら
手いっぱいに溜めてみる
「今から、全部聞かせて?」
だって溢れるくらいなら
哀しみがあるはずなのに
僕が全てを聞くっていうのに


何もしないと 何も変わるわけない
一つの光も届かない

全て君の涙なら
遙かな空に叫んでみる
「もう、我慢することないから」
だって全身(すべて)で感じる
温もりが欲しくなったら
僕が隣でそっと囁くよ


――大丈夫。




 歌の全てが終わった。
 最後こそはアップテンポな曲調になっていたが、それは一人の悲しむ人に対する「僕」が優しく手をさしのべようとする曲。
 歩は涙をポロポロとこぼしていた。僕は歩の頭をゆっくりと撫でた。
「ハヤテ君……」
「なんですか?」
「……何だか、私……元気になれた気がするよ。ハヤテ君とみんながいるなら、私……頑張れるよ、きっと」
「そうですね」
 この言葉をルカさんに伝えられたら、きっとルカさんも力をもらえる気がする。僕も歩と同じように力がもらえた気がする。
「最後まで聴いてくれてありがとう。その人が無事に元気になれるように私はココロから願っています」
 そして、ルカさんは僕と歩の方を見て穏やかに笑った。
 この後、数曲ほど披露されて……コンサートは大成功という形で幕を閉じたのだった。


 あれから、ルカさんに会った僕と歩。
 歩は泣きながらルカさんに抱きつき……ルカさんも号泣していた。分かりきっているが、あの曲は歩のために作られた曲なんだろうな。
 歩はきっとそれに感謝をして。ルカさんは歩に喜んでもらえたことに。
 それぞれ違う気持ちではあるが、表現する形は同じで……。
 それが、二人の抱擁なのだと僕は感じた。ルカさんは時間ができれば、ムラサキノヤカタに遊びに来てくれると言ってくれた。
 そして、その後には……歩が密かに持ってきていたデジカメでルカさんとのツーショット。ついでにマネージャーさんが、僕を入れてのスリーショットも撮ってくれた。これで、一つ……思い出が残っていくな。
 僕と歩はルカさんと別れて、コンサートの話をしながらムラサキノヤカタに帰っていくのであった。


 ムラサキノヤカタに戻った頃はすっかりと日が暮れていた。少し寒くなってきていたので、僕と歩は腕を組んで帰路を歩いてきていた。
「綾崎君と西沢さん……おかえり」
 玄関に入ると千桜さんの姿があった。
「ただいま、千桜さん」
「ただいま帰りました」
「今日のルカのコンサート……楽しかったな」
 穏やかに微笑みながら千桜さんは言う。
「しかし、ルカの新曲には驚いたな。きっと、あの曲は……西沢さんに向けての曲だったんじゃないかと思うんだが」
「……私は誰に向けての曲でもいいかな。とにかく、私はあの曲……何だか元気が出たから」
「そうか。ルカもきっと元気になっているんだろうな」
「それにしても、水蓮寺さんが私に投げキッスをしてくれた時は最高に幸せだったな」
「……やっぱりあれ、西沢さんに向けてしていたのか」
「そうなの。投げキッスしてくれた後にウインクしてくれたから」
 歩は、それはもう幸せそうに話しているけど……僕はウインクまで見えなかったな。きっと、歩にだけ分かる何かがあったのかもしれないな。
「しかし、綾崎君と西沢さんはどこに座っていたんだ?」
「えっ?」
「いや……メールをして言うのも何だけど、メールをした少し後にナギが『コンサートが始まるから電源切っておくぞ!』って言ったから電源切っちゃって」
「僕、二人にメールを送りましたよ」
「そうなのか!? すまない、気づかなかった……」
「いいえ、いいんですよ。まあ、僕たちは最前列のルカさんが良く見えるところに座っていたんです」
「招待席だからきっといい場所に座っていたとは思ったけど、最前列だったのか」
「もう最高だったよ!」
 きっと、歩にとっては一生の思い出になるくらいの良いコンサートだったんだろうな。僕も、あそこまで良いとは思わなかった。
 千桜さんは歩の反応に嬉しそうだ。
「あははっ、そうか。私もそれと同じコンサートに見に行けて良かったよ。まあ、ナギが強引にチケットを取ったらしいけどな」
「お嬢様が?」
「ああ、綾崎君と西沢さんにルカさんから招待席のチケットが来たって言ったら、急にナギがそのコンサートに行くって聞かなくてさ。いけないだろうって思ってたら、私の分までいつの間にか買ってきてて。後でナギに礼を言っておくか」
「お嬢様と一緒に行ってくださってありがとうございます」
「いや、いいよ。私もルカのコンサートに行きたかったし。まあ、どうせだったらヒナやマリアさん達とも一緒に行きたかったけどな」
「今度、ルカさんのコンサートがある時はみんなで行けばいいんじゃないかな?」
「……そうだな」
 まあ、マリアさんはコンサートに行かなくてもいいって言うかもしれないけど、ヒナギクさんは行きたがるだろうな。今日のコンサートもあったことを知ると、少し落ち込んでいたし。
 ちなみに、ヒナギクさんは生徒会長としての仕事があったらしかったが。
「あら、ハヤテ君に歩……帰ってきてたの?」
「おっと、噂をすればヒナが帰ってきたな」
 後ろを振り向くと、白皇学院の制服を着たヒナギクさんが帰ってきた。
「ヒナさん、お疲れ様です」
「うん、ただいま。歩、コンサートは楽しかった?」
「はい! さすがは招待してもらったこともあって凄くいい思い出になりました!」
「へえ、そうなの。ルカもちゃんと歌えてた?」
「ええ! 最近、CDで曲を聴いていたんですけど……やっぱり生で聴くといいですよね!

「そう、良かったわね」
「ナギちゃんと千桜さんもコンサートに行ってたんですよ」
 歩のその何気ない言葉に、ヒナギクさんの表情に何となくかげりが見えた。
「へ、へえ……み、みんな行ってきたのね」
「な、何だかヒナさん……急に元気がなくなってきたような……」
「べ、別にそんなことはないわよ。別に私だけコンサートに行けなくてがっかりしてるとか……そんなことはないんだからね!」
「大丈夫ですよ。コンサートのパンフレットとグッズを買ってきましたから」
「そ、そう?」
「夕ご飯の後にでも、皆さんとコンサートの土産話をしましょうよ」
 僕の提案に千桜さんと西沢さん、もちろんヒナギクさんも頷いてくれた。
「それじゃ、夕ご飯でも作りますか。もちろん、皆さんの分も作りますよ」
「おっ、夕飯を何にするか迷ってたんだ。ありがとう、綾崎君」
「じゃあ、お言葉に甘えていただくわ」
「それでは、お嬢様とマリアさんに話してきますね。ヒナギクさんはアリスさんに話しておいてくださいね」
「うん」
 その夜、僕とマリアさんが作った夕ご飯をみんなで食べた。
 その後には予定通り今日のルカさんのコンサートの話をして……夜遅くまでお嬢様の部屋で色々と盛り上がった。
――今度のコンサートはみんなで行こう。
 そのようなことを決めて、僕と歩はまた一つ……未来での目標が掲げられた。そしてその時は、歩が元気になって子供も生まれれば何よりだと思った。
 きっと、一生忘れない十七歳の春になった。


――この日も忘れることのない日。ルカさんの輝きは今も色あせない。



(※)Lynics by Kaname Sakuraba



vol.10に続く。季節は初夏に進む。
歩の十八歳の誕生日。ハヤテ達はどのようにして祝うのか。
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