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 俺とつばさと瑠奈は部屋を出た。
 既に時刻は夕方になろうとしており、辺り一面が茜色に染まり始めていた。二人と初めてまともに話したあの時の教室と同じようだ。
 つばさの服装は会場から直接ここに連れてこさせられたので、コスプレ用の衣装で例のメイド服のままである。
 俺はつばさに私服の入ったバッグを渡す。
「ほら、つばさ。お前……ずっとコスプレ用の格好だろ。まあ、この屋敷の中じゃコスプレじゃないように見えるが」
「うん、早く着替えたくて……さすがにずっとこの格好じゃ恥ずかしいし。ここに来る途中で車から降ろされたらどうしようってずっと不安だったんだ」
「そ、そうか」
 どこに連れて行かれるのかっていう不安はなかったのだろうか。まあ、つばさにとってはメイド姿を公共の場で晒す羽目になる方が怖かったんだろうな。
 全てが終わって、ようやく落ち着いたのかつばさも思わず笑顔になっている。
「じゃあ私、ちょっと着替えてくるね」
「ああ」
 つばさはバッグを持って行こうとするが、
「待って!」
 俺の後ろから発せられた声。
 それはもちろん瑠奈の声だった。瑠奈はもじもじとしていて、つばさの方をちらちらと見ている。
「どうかしたの?」
「あ、あのね。今日は……ありがとう。色々と付き合ってもらったし、それに……私の代わりにここに連れてこさせられちゃって。迷惑かけちゃって」
 瑠奈の素直な言葉につばさはやんわりと微笑む。
「……別に気にしてないよ。私、瑠奈ちゃんの言うとおり水嶋君と三人で一緒にコスプレ参加して、本当に楽しかったよ。瑠奈ちゃんがいなければこういうこともできなかったし、水嶋君がいなければきっと行けなかったと思う」
「でも、わ、私の我が儘のせいで……」
「気にしなくていいよ。だって、私たちは……友達じゃない」
「友達……」
「うん」
「……ありがとう」
 つばさは本当に心優しい奴なんだな。
 瑠奈をここまで素直にさせるとは。自然と瑠奈も笑顔を見せている。
「あと、潤」
「なんだ?」
「……何殴られちゃってるの? 凄くかっこ悪かったんだけど」
 すぐにいつもの瑠奈の雰囲気に戻りやがったな。まあ、瑠奈らしくていいが。
「人のことを指さして笑うんじゃない」
「で、でもね。そ、その……ちょっとはかっこよかったかな。べ、別に潤のことが気になってるからとかそういうわけじゃないんだからね!」
「はいはいそうですか」
 別にツンデレっぽくならなくてもいい。別にかっこいいとか言われて嬉しくもない。
「本当に私の前で色々なことを言ってくれちゃって。下手したら退学処分もあったかもしれないのに」
「……全然考えてなかったな」
「まったく、潤って実はバカなんじゃないの?」
「殴られた奴に対してその言葉はないだろう」
「……ごめん」
 別に不機嫌そうな表情をして言うくらいなら、わざわざ謝らなくてもいいんだが。
 でも、停学処分でも退学処分でも何を食らっても関係ないと思う。多分、そのことぐらいで恐れるくらいなら逆にあの理事長は処分を下すだろう。俺を試したって言ってたし。
「終わったことなんだから別にいいさ」
「……そうね」
「じゃあ、つばさの着替えが終わったら俺は帰ろうかな」
 俺は振り返ってつばさと一緒に歩き出そうとすると、
「ちょ、ちょっと待って!」
 つばさの時よりも一層大きな声で俺のことを呼び止める。
 俺が振り返ると、再びもじもじと何か言いたそうにしている瑠奈がそこにいる。
「どうした?」
「あ、あのね。潤。そ、その……あ、あり……あり……」
「あり?」
 瑠奈はその言葉を言うのに何度も詰まっているのだが、ようやく意を決したかのように俺の顔を見て、

「ありがとうって言ってるでしょ! 下僕のあんたに言ってやることを感謝しなさいよ潤のばかっ!」

 それは俺に対しての精一杯の感謝の言葉。
 ――ということでいいんだよな?
 とにかく、一生懸命になって言っていることが伝わったから何も文句を言わないでおこう。つばさの時と違って態度がかなり酷いが。
「……俺こそありがとう。瑠奈」
「そ、その言葉は受け取っておいてあげるわ。感謝しなさい」
「ああ。じゃあ、また明日。学校で会おうな」
「……うん」
 瑠奈はゆっくりと頷き、俺に対してなのかつばさに対してなのか分からないが小さく手を振った。
 そして、静かに彼女は部屋の中に入っていった。
「じゃあ、着替えてくるね」
「ああ。一緒に行かなくて大丈夫か?」
「大丈夫だよ。ここには男の人は全然いないからね。じゃあ、お手洗いで着替えてくるから。ここで待っていてくれるかな」
「ああ、分かった」
 つばさは駆け足で着替えに行った。
 余談ではあるが、彼は……本当にスパッツを穿いているんだな。ミニスカートだから走っているとひらりと舞い中身が見えてしまった。
 何を考えているんだろうな、俺は。
 本当に今日は色々なことがあった。
 つばさと瑠奈と三人で一緒に同人誌即売会にコスプレ参加して。夏來さんと会って、会場では姉さんとあかりに差し入れをもらって。
 そういえば、あの差し入れ……後でつばさと食べるか。
 その後につばさが誘拐されて、ついには理事長と話すことになって。殴られたりもしたが瑠奈と理事長の親子関係が少しでも良くなればそれに越したことはない。
 さて、これで全て終わったわけではないんだ。

「そこにいるんだろ? もう出てきてもいいんだぞ、由衣」

 俺のずっと心に抱いていた唯一の違和感。
 その理由を考えた結果がこれである。
 俺がそう言うと、死角となっている所から由衣と生徒会長が現れる。複雑そうな表情をしている由衣と苦笑いであるが笑みを浮かべる生徒会長。普段はあまりお目にかかれない組み合わせだな。
「やっぱりそうだったのか」
「……何時から気づいていたの?」
「つばさと瑠奈がサングラスをかけた男に連れ去られる……というところからだ。誘拐を確実に成功させるなら、二人だけでつばさと瑠奈を誘拐するのは不自然なんだよ。ましてや同い年の男子がいるっていうのに」
「確かに水嶋君の言うことも分からなくはないですけど、それでも二人でなら瑠奈も誘拐できると思いますよ? 多い方に越したことはありませんが」
 会長はいつもの微笑みで言ってくる。
「それだけならこの違和感は単なる勘違いの可能性もあります。あと、理事長が仕組んだことなら瑠奈を誘拐することは容易だったはずです。俺とつばさは一緒にトイレに行っていて十分弱、瑠奈は一人きりでいたんですから。そこから違和感は本物だと思いました」
「ふうん……なるほどね。その間に誘拐すればいいってことね」
「それに、理事長は俺とつばさにこう言いました。『水嶋君と百瀬君には迷惑をかけてしまったようで』。つまり、瑠奈を連れ戻すという考えは理事長が立てて、その方法自体は他の人間に考えさせたというわけですよ。そして、その方法を実行した結果、つばさが誘拐されてしまうことになった。だからこそ、理事長はあのような言い方をしたんです」
「なるほどね、さすがは潤だわ。そうよ、会長から電話がかかってきて……今回の話について相談されたの」
 やっぱりそうだったのか。信じたくはなかったんだが。
「潤君のことについて一番知っているのは、幼なじみの片倉さんですからね。潤君がいる中、どうやって瑠奈か百瀬君のどちらかをこの屋敷に連れてくるか相談したんです」
「昨日、潤が三人でどこに行くのか言ってたから。行き先も分かってたし、それに……潤。潤は昨日の朝、七年前の夢を見たって言ってたし、その時……凄く苦しそうにしていたから、それを利用させてもらったの」
「だから、誘拐した二人組の男は黒スーツでサングラスだったのか」
 全てはあの時と同じような状況を作り出すために。
 そして、俺はまんまとそれに引っかかったってわけか。確かにそれが出来る常盤学院の生徒は七年前のことを知っている由衣しかいない。
「そうしたら、結果……予想通り潤は怯えてその場に跪いてた。きっと、百瀬君が連れ去られるときに見た光景が当時と似ていたから」
「ずっと見てたのか」
「ごめん。でも、方法を考えてたら……これくらいしかなくて」
 改めて考えてみれば、由衣のしたことは相当酷いことだ。
 七年前に体験した出来事を苦しんでいる俺に対し、擬似的な出来事を引き起こしてあの時の記憶を蘇らせ怯えさせる。
 それは幼なじみにしかできないことで、幼なじみには一番して欲しくないこと。
 当然、俺は怒らないわけがない。
「どうしてあんなことをしたんだ? 瑠奈やつばさに怖い思いをさせたんだぞ!」
「……ごめんなさい」
「私が悪いんです。あなたの幼なじみの片倉さんに相談したから……」
「会長は黙っていてください。俺は由衣に訊いているんです。由衣、正直に答えてくれ」
 由衣は俺から目を逸らしたままだ。当然、俺の方に向けられるわけがない。
 俺は一歩、由衣の近くに寄る。
 すると、俺の方を向かずに由衣は小さい声で、
「……寂しかったんだもん」
「えっ?」
「潤が福原さんに取られたような気がして寂しかったんだもんっ! きっと、今回の出来事で福原さんと離れると思ったから……」
 小さな子供のように涙を流しながら由衣はそう答えた。
 俺は大きくため息をついた。
「そんなことで……。お前、昔から変わってないんだな」
 そう、こいつはしっかりしているように見えるが昔から寂しがり屋。
 七年前、俺が事件のショックで不登校だった間、由衣も学校を休んだ日があったらしい。その間、部屋で泣いていたり……逆に行動を起こして、事件のことについて当時の由衣は自分なりに調べていたりしていた。
 全ては元気になって俺と会えるようにするために。一緒にいる時間が作れるように。
 今回も七年前と同じようなことが起こったんだ。
「でも、あの時とは違うんだぞ。あの時、俺はお前に会いたくなかった。誰とも会いたくなかった。だけどな、今はどんなことがあっても俺はお前の幼なじみだ。俺と瑠奈がどんな関係になったとしても、由衣が俺に会いたいって言えばいつだって会えるんだ」
 俺は由衣のそばに立って、ゆっくりと頭を撫でてやる。
「まったく、お前って奴は……会いたくなったら俺はいつでも会ってやるのに」
「ばかっ、潤のばかっ……」
「もう、その言葉は聞き飽きた」
 瑠奈に散々言われてきてるからな。
「でも、一番馬鹿なのは私だよ」
「……それが分かればきっと馬鹿じゃねえと思う。俺はそう思う」
 由衣とはもう十年以上の付き合いだ。
 俺にとって、由衣という存在は幼なじみとしては揺るがないんだが……由衣にとって俺という存在は俺とは違うように感じているんだろうな。
「あのぉ……私はお邪魔だったですか?」
 会長は爽やかな笑みを浮かべて俺たちに言ってくる。その笑みは俺達の気分を害しないようにか、控え目である。
「べ、別に嫌らしいことなんてしてませんからっ!」
 瞬間、由衣は俺を突き飛ばした。
「片倉さん、潤君が瑠奈に取られたんじゃないかって嫉妬してたんじゃないんですか?」
「そ、そんなことないですよっ!」
「顔に出ていますよ。うふふっ、可愛いですね」
 確かに会長の言った言葉に由衣はあたふたしているが……まあ、きっと俺と映画を行く予定だったはずがその前に俺は瑠奈とつばさと一緒に同人誌即売会に行くことになったから、それにきっと怒っているんだろう。
 そういうところもこいつは変わらないな、と由衣の顔を見る。
「別に私は潤のことが好きだとかそんなことないんだから! ていうか、潤はこっち見ないよねっ!」
「片倉さんと瑠奈って意外と似たもの同士かもしれませんね」
「冗談じゃないですよっ! 私はあんな女とは違うんです!」
 やっぱり、由衣は瑠奈のことを嫌っているみたいだ。まあ、瑠奈の態度も悪いし多くの男子を下僕にしてるし、女子にとっては目の敵なんだろうな。
「瑠奈も少しは素直になればいいんですけどね……潤君」
「急に話を振られても」
「でも、理事長の言うとおり瑠奈も最近は自分の事を話さなくなりましたからね。潤君とさっき着替えに行った百瀬君には私からも感謝していますよ」
 会長は軽く頭を下げる。
「いえ、別に俺は当然のことをしただけですよ」
「友達だから……ですか?」
「ええ。彼女は俺のことをそう思ってくれているかは分かりませんが」
 まあ、瑠奈のことだからな。きっと、俺のことを下僕とでも思っているんだろう。もうそこのところは半分諦めている。
 つうか、聞いてたんだな。さっきの会話。
 でも、俺にとっては最初に会ったときから印象が変わったように思える。もちろん、それは良い方に。
 瑠奈の幼なじみである会長はきっと彼女のことをたくさん知っている。だからこそ、もう少し素直になればいいのにと言うんだと思う。
「瑠奈のことを私からも宜しくお願いしますね」
「ええ、分かりました。不安ばかりですが」
「うふふっ、これからが楽しみです。私、進学先も決まっていて特別しなければならないこともありませんしね」
「別に面白いことなんて起きませんよ。瑠奈が何か行動を起こさない限りは」
「……それはどうでしょうか?」
 年上とは思えない幼い顔から放たれる笑みは、何を考えているのか全く見当もつかなかった。瑠奈の幼なじみというだけでも強大な存在だというのに、生徒会長ともなれば生徒の中ではナンバーワンの存在だと思う。瑠奈が理事長の娘でなければ、ああいう記事を立てられるのも下僕を従わせるのも全て会長だったのかもしれない。
「水嶋君は知らないかもしれませんが、私だって一つ何かを言えば周りの人が動いてくれるんですよ?」
「えっ?」
「例えば、今から潤君に抱きついて『きゃっ! 痴漢だよぉ!』って叫べば、きっとあなたはこの家のSPにでも拘束されて、いずれは退学処分かもしれませんね」
「そんなこと私がさせませんっ!」
「もう、片倉さんったら。ほんの冗談じゃないですか」
「冗談で言うようなことじゃないですよ!」
 確かに由衣の言うとおり、今の会長の冗談はどうかしている。
 しかし、一瞬……本当に身の危険を感じた。会長は瑠奈と同じ財閥の娘だし、瑠奈の幼なじみ。会長の放つ言葉の力は瑠奈には及ばないかもしれないけど、それでも相当な力を持っているはずだ。
 一瞬ではあるが、とんでもない人と知り合いになってしまったなと思ってしまった。
「嘘ですよ。潤君に退学してもらっては困ります」
「でも、俺が退学して欲しいって生徒はいるんじゃないんですか? 例のリア充爆発って思っている人にとっては。まあ、俺はリア充とかではないですけど」
「そんなの私が許しませんよ」
「そういう考えを持っている会長で良かったと思います」
「……そうですよ。だって、あの日……」
 会長は夕陽の眩しい空を見て、言った。
「新聞部の生徒達を退学するように勧めたの……私ですから」
「……えっ?」
 会長の眼差しはとても真剣だった。一瞬、身震いした。
 まさか、新聞部の生徒達は学校に来る楽しみがなくなったから退学したんじゃなくて、会長が言った今の一言の影響で?
 由衣もさすがに複雑な表情になっていた。
「嘘ですよね? 会長」
 俺の問いかけに、会長はすぐに言葉を返さなかった。夕焼け空を見たまま。
「……嘘ですよ。でも、瑠奈に嫌なことをするような人がいたら、幼なじみとして私が黙っていません。今日の事だって、理事長が瑠奈の気持ちを本人の口から聞きたいと仰って、私も同じ気持ちだったから協力したんですよ」
「会長……」
「何だかこういう風に言うと、瑠奈に危害を加えた人には容赦ないというように感じてしまうかもしれませんですけど。それは違いますから安心してください」
 だったら、さっきの目はなんだったんだ? あれも嘘なのか?
 俺の知っている限りの会長からはあんな目を見せるなんて想像できないけれど。
「私もあと一年で卒業ですから。来年、瑠奈を見守ってくれる人が必要だという意味でも潤君には退学して欲しくありません」
「そうですか」
 そして、会長はいつもの笑顔に戻った。
「じゃあ、今日はこの辺で。また学校で会いましょう、潤君。あと、こんなことに付き合わせちゃってごめんなさい、片倉さん」
「いえ、私は別に……」
「でも、今日は瑠奈のためにありがとう。百瀬君にも言っておいてくださいね」
「……はい」
 会長はゆっくりと俺たちの前を通り過ぎた。
 俺と由衣は会長の姿が、夕陽によってできた影が見えなくなるまでずっとその場に立ち尽くしていた。
 そして、俺と由衣の二人だけになる。
 再び、お互いに見合う。今の由衣は何だか汐らしく見える。
「ねえ、潤」
「……なんだ?」
「今も怒ってる?」
「もう怒ってねえよ。お前のおかげで七年前のあの事からようやく踏ん切りが付けられたんだからな」
「でも、私があの時……忘れろって言ったから今まで苦しめるようなことになっちゃったじゃない。本当にごめん」
 由衣は分かっていたのか。
 当時、小学生だった由衣にとって精一杯に元気になれる方法。それが『忘れる』という方法だった。でも、忘れると言っても人間というのは忘れることはそうそうできないんだ。ましてや、心に傷が残った出来事に関しては。
 少しずつ時を重ねていって、俺はそのことが分かった。
「別にいいさ。一番弱かったのは俺自身だったんだ。今日の出来事があって、俺は少し強くなれた気がするし、あの時の俺には分からなかったことがようやく分かった気がするから」
「それって、なに?」
 俺はあの時のことを思い出す。
 つばさが誘拐されて、俺がだめになりそうになった時に……不覚にも瑠奈にそのことを教えられたよ。
 当時の俺には分からなかったこと。それは、
「人は一人じゃ何もできないっていうことだ」
「一人じゃ何もできない……」
「ああ。一人でできなくて恥ずかしいことなんてない。一人でできないなら二人、二人でできないなら三人。力が足りなければ新たな力を他の誰かから借りれば済む話のことなんだ。あの時、瑠奈は俺に言った。『私と一緒につばさを助ければいい』って」
「福原さんが、ね……。私からしてみれば想像できない言葉だわ」
 確かに瑠奈は孤高の人って印象が強いからな。理事長の娘だけで手の届かない、一人浮いているような存在だし。
「それを気づかせてくれたきっかけを作ったのは由衣、お前だ。だから、ありがとう」
 俺は今、瑠奈にどんな表情を見せているのだろうか。
 もう俺の心についていた鎖が崩れ落ちて、随分と軽くなった気持ちになった今、幼なじみに笑顔を見せることができているのだろうか。
 俺の感謝の言葉に由衣は柔らかく笑った。
「……やっぱり潤は正義感が強いね」
「別に強くないって前から言ってるだろ」
「私にはそう見えるの」
「もう、それならそうで別にいい」
「……でも、潤が元気になったから私はそれでいいよ」
「ああ」
「あ、あとね……潤」
「なんだ?」
 由衣はもじもじと恥ずかしそうにして俺の方を見る。
「明日、一緒に学校に行こう? 今日、一緒に映画に行けなかった分」
「その位だったらお安いご用だ。分かったよ、じゃあ……明日の朝、いつもみたいに由衣が俺の家に来るってことでいいか?」
「うん、分かった。約束だからね」
「分かった」
 由衣が朝練のない日は必ず一緒に学校に行くんだけどな。昨日だってそうだったし。それは小学生の時から変わらない。
 変わることは当然あるけど、変わらないことがあるっていうのはいいもんだ。
「じゃあ、また明日ね」
「ああ。じゃあな」
 由衣は笑顔で手を振り、走り出した。
 ――そう、こんなところもずっと変わってない。
 俺はそんな由衣の姿が見えなくなるまで、手を振り続けながら見送った。


 その後、普段着に着替えたつばさが戻ってきた。
 俺とつばさは福原家の屋敷を出て、何の気もなしに……あの人同じ、青柳川のほとりを二人並んで歩いていた。
 日曜日の夕方だからか、人もけっこういる。晴れているし風も涼しいし、夕焼けに照らされる景色を見ながら散歩するには最高の条件だろう。
 俺はふと、右手に持っている荷物を見て、
「つばさ、ここで昼飯でも食おうぜ。随分と遅くなったけど」
「……そうだね」
 つばさは少し嬉しそうに笑い、すぐ側にある芝生に腰を下ろす。
 サンドウィッチが入っているタッパーをさっそく開けてみるが、もう半分くらいしか残っていなかった。きっと、瑠奈が暗中模索にあかりが作ったサンドウィッチを食べ続け、その結果がこれなんだろう。
「あいつ、半分も食いやがったな」
「ふふっ、でも夕方になってるしこの位の量でちょうどいいよ」
「そうだな」
 そうとでも思わなきゃやってられない。
 俺の右隣に座っているつばさの顔を見て、今まで曖昧だった記憶が徐々に確信へと変わっていく。そんなことがあるわけないと思っていたことが、実はそうだったんじゃないかと思い始めていく。
 俺は口を開き、
「あの時、お前を助けようとした奴っていうのは俺だったんだ」
 つばさに向けてそう言った。
 突然だったのかつばさは驚いていた。少しの時間、俺たちの中では静寂という空間が作られる。ただ、唯一聞こえるのは、春風による草木の囁きだけ。
 そんな時間はとても長く思えた。
 そして、ようやくつばさの口が開き、彼の放った言葉は、
「どういうこと……なのかな?」
 不思議そうに俺に言ってきた。
 そうだ、瑠奈には話したけどつばさには俺の体験した七年前の出来事を話したことはない。なので、俺はつばさにその事を全て話した。
 その間、つばさは何も口を挟まず静かに聞いていた。
「そっか、あの時の男の子って水嶋君だったんだね」
「まさかとは思ったんだよ。お前の話を聞いた日の夜に七年前の夢を見て、その状況も凄く話してくれた内容に似ててさ。それに、瑠奈からも同じような話を前に聞いたことがあるって言ってたし」
「私の話したことが、その記憶を蘇らせる引き金になったって訳なんだ」
「ああ。でも、その時は誘拐された子の叫び声は聞こえたんだけど、肝心の顔だけは分からなかった。でも、あの時……つばさがSPに連れ去られるときに思い出したんだよ。七年前、誘拐犯に抱えられている女の子の顔を」
「それが私だった……」
「ああ。実はあれは由衣が考えていたことで、凄く似てたんだ。七年前と」
 由衣が仕組んでいたという事実に驚いたのか、つばさは目を見開いた。
 しかし、つばさは微笑み直す。
「……私も同じだよ」
「えっ?」
「その時、水嶋君が追いかけに来てくれたときに……私も同じことを思った。この光景、七年前のあの時と凄く似ているなって」
「つばさ……」
「水嶋君が目の前で倒れたっていうのも、ね」
「そうか」
「だから私も思ったんだ。もしかしたら、七年前に私を助けようとした男の子って水嶋君だったんじゃないかって」
 そうか、俺から見ている光景もあれば当然、つばさから見ている光景もあるのか。俺と同じように、つばさにとっても会場での出来事は七年前と似ているように見えたんだ。
 由衣もこれだけは予想外だっただろうな。
「でも、それはあり得ないって思った」
「どうしてだ?」
「そう思うと、心苦しくなって辛いから……」
 つばさは俺に顔を見られないようにそっぽを向いて言った。その声は心なしか弱々しく感じる。
「そうか」
「でも、水嶋君の今の話を聞いてやっぱり私の考えは当たってたんだね。それに、そんな気持ちって自分から逃げてるのと一緒なんだよね」
「……そうだな」
 こいつもこいつなりに自分の気持ちと戦っていたわけか。
 つばさは真剣な表情で俺の方に振り返り、
「私、助けてくれた男の子にまた会えたら言いたい言葉があったんだ」
 爽やかな風がつばさの髪を揺らし、
 その隙間から覗いている彼の目は、俺を一点に見つめていた。
 口元から徐々に顔全体へと、微笑みが広がる。まるで、それは蕾からようやく開いた花びらのように。

「ありがとう」

 それがつばさの言いたかった言葉。
 それは、あまりにも素直で真っ直ぐな言葉だった。
 俺はずっとこのために。
 つばさもきっとこのために。
 それぞれ、苦しくて悔しい思いを心のどこかで抱えながら七年間を過ごしていた。七年が経って俺とつばさが出会ったことはきっと奇跡に等しい。だからこそ、俺たちに再びあの時の記憶が鮮明に蘇り、再び苦しむという『宿命』を与えられた。
 その『宿命』に真っ直ぐに向き合ったからこそ、この言葉が聞けたんだと思う。
 今度は俺が言わなければ。

「あの時は助けられなくてごめん。あと、俺からも。ありがとう」

 それが俺の言いたかった言葉だ。
 でも、最後の一言は今日になって思い至った言葉。つばさのおかげで俺は自分というものに、七年前の事件に向き合えたのだから。
「うん」
 つばさは笑顔のまま返事をした。
 これで全てが終わったんだ。俺にとっても、つばさにとっても。
「よし、姉さんとあかりの作ってくれたサンドウィッチでも食うか」
「そうだね」
 俺とつばさはそれぞれ、タッパーからサンドウィッチを一つずつ取って一口。
「美味い」
 やけにお腹が減っていたのか、次々と食が進む。あっという間に一つ食べてしまった。
「美味しいね、水嶋君」
「ああ、そうだな」
 次のサンドウィッチを取ろうかと思ったとき、つばさが俺の顔を覗き込んできた。
「どうした?」
「……初めて、私に笑顔を見せてくれたね」
 まるで一世一代の告白をするかように。
 つばさは顔を赤くして、俺にそんなことを言ってきた。
 俺は時々、自分が笑えているかどうか疑問に思うことがあった。昔よりも感情を表情や態度であまり表さなくなったから。特に嬉しいときには。
 でも、そうか。俺は今、笑えているのか。だったら俺は凄く嬉しい。つばさに見せることができて俺は嬉しい。
 その気持ちはきっとつばさにも伝わっているだろう。
「どうしたの? 私の顔をじっと見て」
「つばさが自分から覗き込んできたんだろ」
「……そうだったね。ほら、美味しいから早く食べちゃおうよ」
「ああ」
 そう、俺のすぐ目の前に。
 夕陽と同じくらいに輝いている笑顔が広がっているのだから。


最終話に続く。
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