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 あの後、俺は由衣と坂井の待っている喫茶店に向かった。
 喫茶店に着いたときにはもう疲れがかなり溜まっていており、何故ここまで遅れたのかと由衣に問いただされたが何も話す気にもならなかった。まあ、それでも奢るということもあってか由衣のすぐに機嫌が直った。
 そして、俺は由衣の話をおかずにしてゆっくりとハーブティーを楽しんだ。食欲までは湧かず、由衣が美味しそうに一番高いサンドウィッチを食べているのを隣でずっと眺めていた。
 まあ、「じっと見るなっ!」と途中で言われてしまったが。
 あとは坂井と色々と好きなバンドのことを話したりして、二時間弱ほど喫茶店にいた。福原と百瀬の一件があったからか、やけに居心地が良かった。


 日も大分暮れ、四月末でも日が沈み始めると寒気がしてくる陽気だ。
 俺は一人、住宅街を歩いていた。
 東京二十三区郊外にある青柳市は都内有数のベッドタウンとして、ここ近年人口が急増中の四十万人の中核市。都心への交通の利便の良さ、それにも関わらず一級河川である青柳川が流れることから自然も豊富で老若男女問わず住みやすい街である。
 そんな中でも私立常盤学院高等学校の存在は大きい。私立高校でありながら、地元との交流が盛んであり、俺みたいに市内から通っている生徒も少なくない。また、常盤学院のおかげか青柳市自体の知名度が上がってきている。
 総括すると、青柳市は活性化しているというわけだ。
 俺の住んでいる地域は住宅が建ち並んでおり、近隣に高い建物があまりないため少し遠くの自然も眺められるし環境はかなりいいらしい。
「まあ、落ち着いているのはいいことだけどな……」
 ワイシャツの第二ボタンまで開けていたせいか、思わず寒さで震えてしまった。
 急ぎ足で家まで向かう。
 といっても、家はすぐそこだった。『水嶋』と少しモダンなデザインの表札が俺を出迎えてくれる。
 敷地の入り口を開け、少し庭を歩いて俺は玄関の前まで行く。
「ただいま」
 俺は一言、そう言って家の中に入る。
「あっ、お兄ちゃん。おかえり」
「ああ、ただいま。あかり」
 笑顔で出迎えてくれたのは俺の妹の水嶋あかり。制服姿であるが、それは俺も普段から見慣れているもので、あかりは俺と同じ常盤学院に通っている。ちなみに一年だ。
 由衣と同じ赤い髪であるが、あかりの場合はピンクに近い。さらさらのショートヘアで俺にとってはいかにも妹らしい容姿である。
 玄関を上がると、階段の上にいたあかりは何の気もなしに笑顔で降りてきた。
「……あかり。少しは俺のことも考えて降りてきてくれ」
「どういうこと?」
 あかりが階段を降りてくるとき、勢いよく降りてきたせいか……制服のスカートが跳ね、何というか中が見えてしまった。
 特に俺はそういう類に興味はないのだが、今日は水色の縞模様だった。
「いや、ただ……見えてたってだけだ」
「えっ?」
「じゃあ、あかりは今日……水色の下着を穿いているのか」
「ど、どうして分かるの! お兄ちゃん、もしかして……」
「入ってない。あかりの部屋に入って無断で棚を覗くようなことはしない。ただ、今……あかりが階段降りてきたときに見えただけさ」
「は、はうっ。凄く恥ずかしいよ」
 と、あかりは小さい声で言い、手でスカートを押さえていた。もう遅いが。
「学校では周りのことも考えような」
 俺は自分の胸よりも少し低い高さにあるあかりの頭をゆっくりと撫でた。あかりは何故か嬉しそうに、
「う、うんっ!」
 と、元気に返事をしてくれた。
 まあ、可愛らしい高校生の妹を持つ兄としてこういうことは注意したくなるのだ。口うるさいとか言われるかもしれないが。
「あかりは今、部活から帰ってきたのか?」
「うん、そうだよ」
 あかりは茶道部に入部している。
 本人曰く、ゆったりとした雰囲気の部活に入りたいということとお茶菓子が楽しめるからという、いかにもあかりらしい理由で入部を決めたらしい。
 茶道部のアットホームな雰囲気にはあかりに合っているのかもしれないな。さっそく部活の友人ができたらしいし。少し羨ましい部分もある。
「そうか」
「今日もお兄ちゃんの話で盛り上がったよ」
「……ああ、そうだった」
 教室での一件や由衣と坂井と一緒に喫茶店に長くいたせいか、、人気投票のことなんて遠い過去のことだと思っていた。
「私、今日以上にお兄ちゃんの妹で良かったって思ったことはないよ」
「……それって喜んでいいのか分からないんだが」
「昼休みに体育館へ急に移動だって委員長さんに言われて、それで体育館に行ったらお兄ちゃんが優勝だって知って。友達がおめでとうって言ってたよ」
「じゃあ、俺からありがとうって伝えておいてくれ」
 うんっ、とあかりは小さく頷く。
「そこからはずっとお兄ちゃんのことばっかりだったよ。普段は全然お兄ちゃんのことで話さないのにね」
「あははっ」
 まあ、普通は女子高生の会話に兄貴が題材に使われる事なんてないからな。
 やっぱり、俺とは違ってあかりの周りは女子ばかりだからか、人気投票のことは盛り上がる話題なのだろうか。
 あかりは凄く嬉しそうだった。
 何だかここに来てようやく、「ああ、優勝するってすげえことなんだな」と実感が少しずつであるが湧いてくる。このタイミングというのも、やっぱり兄貴だからなのかなと思ってくる。
 あかりにとって少しの間だけでも、誇れる兄貴になれたのなら俺はそれ以上に嬉しいことはない。
「そういえば、何だかいい匂いがするな」
「お母さんにお兄ちゃんのことを言ったら、何か凄く力が入っちゃったらしくて。きっと凄い夜ご飯になるんじゃないかな」
「別にそんな凄いことしたつもりじゃないと思うけど」
「凄いことだって!」
 今のあかりの声があまりにも大きかったので、
「そ、そうか」
 勢いに押されて、軽く苦笑いをしながら言ってしまった。
 俺とあかりはリビングに入ると、食卓には既に料理が並び始めていた。
「あら、潤。おかえりなさい」
「ただいま」
「うふふっ、嬉しくなっちゃって作り過ぎちゃったかしら」
「……いいんじゃないか?」
 まあ、そう答えるしかない。
 俺の母、水嶋果帆(かほ)。年齢は……幾つになったかは覚えてないが、多分三十代だと思う。というか、むやみに年齢は晒さない方が良いか。まあ、由衣に言わせれば「年の離れた優しいお姉さん」ということらしいがどうなんだろう。
 基本、この人はおっとりしている性格であり、さっきあかりが言った「凄く力が入った」というのも稀なことだ。たとえ、その「凄く力が入った」時でも今のような柔らかい雰囲気を保っている。
「潤の好きなビターチョコレートのケーキは冷蔵庫にあるから」
「おお、ありがとう」
「腕によりをかけて作ったから。夕食の後にデザートでゆっくり食べましょう」
「そうだな」
「良かったね、お兄ちゃん」
「……ああ」
 てっきり買ってきたと思ったんだけど、作ってしまうとは……。生まれて約十七年の月日が経つが、未だに母親のキャパシティの限界が分からない。
 『人は見かけによらない』という言葉はこういう人のためにあるんじゃないのか?
「潤。今のはちょっとお母さんも傷ついたわ」
「俺の心まで読めるのか」
「だって……母親ですもの」
 柔らかく笑いながら母さんに言われる。何だか不思議と頭が上がらなかった。
 つうか、別に悪い意味で言ったつもりは全くないのだが。
 とりあえず、俺の好きなビターチョコのケーキがあると知った途端、ようやく俺も祝われているなと実感できてきた。
 思い返してみれば今日は色々なことがあった。
 始まりはいつもの優雅な昼休み。生徒会の人間に誘拐され。
 放課後の教室で、傍若無人なお嬢様に女装していたクラスメイトの秘密を口外しないと約束(半ば脅迫)をされ。
 仕舞いには何故か喫茶店で幼なじみへご馳走する羽目になった。まあ、この場合は準優勝した親友と割り勘だったからまだ良かったが。
 それと比べると自分の家は最高だ。
 妹は喜んでくれているみたいだし、母親が俺の好きなスイーツを作ってくれるし。ああ、家族って素晴らしい。
「さあ、潤もあかりも着替えてきなさい。もうすぐで夕飯の用意できるから」
「ああ」
「はーい」
 喫茶店で俺も何か食べれば良かったかと思ったけど、どうやら食べなくて正解だったみたいだな。
 俺とあかりはリビングを出て二階に上がろうとしたときだった。
「ただいまー」
 玄関からそんな声が聞こえる。
 俺とあかりは玄関の方に振り向くと、そこには俺の姉・水嶋彩(みずしまあや)がいた。
「あれ、潤とあかりも今帰ってきたの?」
「うん、そうだよ。お姉ちゃん」
 あかりは俺の手を引いて姉さんの前まで行く。
 姉さんは国公立大学に通っている大学一年生。文学部の国文学科に所属している。大学では『文学のマドンナ』とか言われているらしいが。
 黄土色のロングヘアで、あかりよりも十センチくらい背が高い。マドンナと言われるだけあってか、大人の雰囲気を醸し出していると弟である俺からでもそう思う。
「そうだ、お姉ちゃん。お兄ちゃんね、学校の人気投票で優勝したんだよ」
「潤が?」
 あかりがそうと途端に姉さんは笑い始めた。しかし、その笑い方が「くすっ」という上品な笑い方であるため文句が言えない。
「だって、潤がね……まあ、顔は悪くないのは認めるけど。性格はね……」
「別に俺はなりたくてなりたかったわけじゃないぞ」
「分かってるわよ。昔から潤はそういうことはあまり好きじゃないもんね。でも、潤のどこに惹かれて投票したのかしら?」
 と、姉さんは右手の人差し指を俺の胸に当てて、丸を描く。
「どこに惹かれてって、人気投票って普通は男女混合の投票のはずだ」
 男子に惹かれたくはないんだが。
 そう思った瞬間、俺はあの時の情景を思い出す。放課後の教室で、女子の制服を着ていた百瀬つばさのことを。
 本当に彼女……いや、彼には騙されたな。まったく。
「どうしたの? 笑っちゃって」
「何でもねえよ。あっ、このことをあかりが母さんに話したら張り切っちゃったらしくて、今は夕飯の準備してるから」
「へえ、お母さんが張り切るとはね……」
 姉さんは腕を組んだ。
 さすがは俺よりも長く生きているだけある。姉さんもそう言ってくれたか。
「だから俺とあかりは着替えてくる」
「あかり、潤に変なことをされないように気をつけてね」
「ふえっ!」
 姉さんの思いがけない言葉に、あかりは甲高い声を上げてしまう。
「お、お兄ちゃんが……そ、そんなことするわけないでしょっ!」
 あかりは狼狽えながら言う。
「いやぁ、分かんないよ。潤だって男だから、高校生になった妹をもしかしたら食べちゃうかもしれない」
「何をありもしない壮大な嘘を言ってくれてるんだ」
「このくらいのことを言わないと、あかりはお母さん似でおっとりしてるからいつ男に襲われるか分からないでしょ?」
「そんな物騒な世の中じゃないだろ」
「分からないわよ。私だって高校生の時に男に襲われかけたことあるし」
「えっ、本当にあるのか?」
「嘘だけど」
「嘘かよ!」
 まったく、今日一番の大きな声を上げてしまった。
 俺と姉さんの話しを聞いていたせいか、あかりは目を潤ませ、身体を震わせながらその場で座り込んでしまった。
「あううっ、こ、こわいよぉ……」
「ご、ごめんね。あかり。お姉ちゃんもそういうつもりで言ったわけじゃなくて……」
 さすがに姉さんはあかりに謝っている。
 姉さんはあかりの背中をゆっくりとさすり、
「大丈夫よ、あかり。何かあったら潤に助けてもらえばいいんだから」
 俺のことを指さして淡々と言いやがった。
「おい、妹に対する慰めが他力本願丸出しになってるぞ」
「あら? 潤はあかりにもしものことが起きても何もしないってわけなの? 私はそんな弟に育てたつもりはないけど」
「姉さんに育てられたつもりはないけどな……」
 たった二歳差だし。
「でも、薄情なお兄ちゃんね。妹があんなことやこんなことをされても何も感じないなんて……」
「だから、何かが起こる前提で話すなって。それに、その時になったらあかりのことは俺に任せろ。姉さんには任せておけない」
 俺がそう言うと、姉さんは俺に向かってにこっと微笑んできた。そして、姉さんはあかりの頭をゆっくりと撫でて、
「良かったわね、潤があかりのことを守ってくれるって」
「……ほんとうに?」
 あかりは俺の顔をじっと見てマジで訊いてくる。まったく、元はといえば姉さんのジョークからだというのに。ジョークにしては悪質だが。
 まあ、あかりはこういう話も素直に信じてしまう傾向があるから、確かに兄としてあかりのことは放っておけない。
「ああ、本当だ」
「……うんっ!」
 まるで一面に広がる花が一気に咲くように。あかりの表情は明るくなった。
 まったく、姉さんにも困る。これがマドンナの言うことなのかよ。
(あかりを怖がらせるようなことを言うなって)
(あら、私はあかりのことを思って言っただけなんだけど)
(それにしても今のは言い過ぎだ。これからの高校生活に支障をきたすかもしれない)
(何事も始まりが肝心だって教わらなかった?)
 姉さんに耳打ちをしてみたが、どうやら反省とかはしないようだな、この人。
「あかり、とりあえず着替えてこい。もちろん、俺は無断であかりに嫌なことをする気もないから安心しろ」
「うん、そうするね」
 あかりは明るい表情のままで二階へと上がっていった。俺も着替えるためにバッグを持って二階に上がろうとするが、
「あかりに変なことしないでよ」
「しねえよ!」
 明らかに態度の悪かった福原にさえ出さなかった苛立ちの怒鳴り声が、今、この瞬間になってようやく吐き出された。
 それに対して姉さんはずっと笑みを絶やすことはなかった。


 母さんの作った夕食はえらく豪勢だった。
 といっても、俺の好きなメニューが並んだだけだが。オムライスをメインに、チキン繋がりで唐揚げに何故か棒々鶏だった。オムライスに合わないと思ったが、個々のレベルが高くそんなことは気にならなかった。
 しかし、俺の好きな料理ばっかりで、しかも俺のために作ったからか……自然と俺の食べる量は多くなり、夕食が終わる頃には俺はソファーで寝転んでいた。
「く、苦しい……」
 どうして途中で食うのを止めなかったんだ、俺は。
 今の俺の状況を説明すると、少し力を入れれば俺の口から出せるところまで俺の身体は夕食に満たされていた。
 俺は腹を押さえて仰向けになる。こうすれば食べ物が胃から腸に流れやすくなって、少しは楽になるだろう。
 意外とまだ試練は終わってなかったのかもしれないな。とりあえず、ビターチョコのケーキは明日食べることにしよう。食べたら食べたでそれは別の意味でビターなことになるかもしれないから。
「潤、胃薬でも飲みなさい」
 その声の主……姉さんの方に顔を向けると、胃薬と水の入ったコップを持っていた。
「すまない」
「起き上がるのが辛いなら、お姉ちゃんが飲ませてあげようか?」
「いらん。気持ちだけで十分だ」
「潤だったらそう言うと思ってたわよ。ほら」
「ありがとよ」
 俺は姉さんから胃薬とコップを受け取り、ゆっくりと飲む。
 これで少しでも良くなればいいけど。
「家の中で唯一の男がそんなのでどうするのよ」
「……あの量を実際に食べてみろよ」
 そう、俺はこの家に住んでいる唯一の男。
 父親は外資系の仕事をしており、今はアメリカに海外赴任している。向こうでの仕事が順調なようで、暫くは日本に戻ることはないのだとか。
 といっても、お盆や正月には日本に帰ってくるので俺はこの家の中で男が俺一人でも全然かまわない。
「お父さんにも報告したら?」
「……別にいい。生徒会が知らない間に企画したことだし。それに、俺はそういうもので優勝するとか全く興味ねえし」
「もう、潤は可愛くないなぁ」
「男なのにかわいい……なんて……」
「ん? どうしたの?」
 まただ。
 男なのに可愛い……なんて言っている最中で、あいつのことを思い出してしまった。可愛いかは分からんが、百瀬のあの姿は凄く似合っていた。
「いや、ちょっと考え事をしてただけだ」
「そっか」
「それで? 姉さんが俺に気を遣うようなことをするなんて……俺に何か頼み事でもあるのか?」
 真意をついたのか、俺の言葉に姉さんが不機嫌になる。
「何よ、まるで普段は潤のことをぞんざいに扱ってるみたいじゃない」
「そこまで言ってないだろ」
「べ、別に潤が心配だからかとか……そんなんじゃないんだからね」
「そんなの分かってるって。だから俺は訊いてるんだよ」
「……意外と姉のことを分かってるんじゃない」
「生まれてからずっと姉さんの弟だからな」
 力なく俺は答える。
 何だか喋ってたら気持ち悪くなってきた。再びソファーに仰向けになる。
 照明の灯りが眩しいので両目を右腕で隠す。すると途端に、身体的にも精神的にも眠気がどっと襲ってくる。
「潤、寝ないでよ」
「たくさん食べたからか凄く眠いんだよ……」
「子供か!」
 別に子供でなくてもたくさん食べ物を食べて、生暖かい照明に当たっていれば自然と眠気は湧いてくると思うんだが。
「それで、姉さんは何か俺に頼みたいことでもあるのか……?」
 俺はゆっくりと体勢を姉さんの方に向ける。
「……付き合って欲しいの」
「俺たちは姉弟なんだぞ。できるわけないだろうが」
「な、何言ってるのよ! 少し位はいいかなって思ったことはあるけど……」
「えっ?」
「何でもないわよ。ただ、ちょっとだけでいいから踊ることに付き合って欲しいだけ」
「……俺を殺す気か?」
「だから、ちょっとだけって言ってるでしょ!」
「つうか、胃薬を渡す人間に対して踊りの相手になれってどれだけ鬼畜なんだ!」
「潤の気分が良くなってからでいいから!」
 姉さんの必死の懇願に俺はもはや首を振ることはできなかった。というか、首を振ったらそれこそ鬼畜な展開になりかねない。
 それに、踊りの相手には唯一の弟である俺が適役なんだろう。それだったら、付き合ってやる他はない。
 だって、唯一の姉の頼みだからな。
「分かったよ。とにかく、あと小一時間休ませてくれ」
「ありがとう。潤。やっぱり持つべきものは友人と家族ね」
「……まあ、少しだけだけどな」
 さすがはマドンナ。こういう時に見せる笑顔は好感を持てる。きっと大学にいる男を虜にしているに違いない。
 このまま今日は平和に終わると思いきや、まだまだ終わりそうになかった。


 夜も大分遅くなって、俺は風呂から出てあとは寝るだけになっていた。
「今日は疲れた……」
 俺はベッドの上で仰向けになる。
――あれから、俺は姉さんに例の踊りの練習に付き合わされた。
 姉さんは大学で主に海外の舞踏を踊る、通称『舞踏研究会』というサークルに入ったらしく、GW中にある合宿のために練習をしておきたかったらしい。
 そして、色々と練習相手になっている間に話を聞いていくと、サークルには女子がやたらと多いらしく、しかもパートナーが女子なのだとか。それなら俺ではなくあかりでも良かったんじゃないかと思いつつも、何も言わずに付き合った。
 それで、練習を付き合ったお礼なのか分からないが、姉さんがこんな話を始めた。
 姉さんは先月、常盤学院を卒業した。なので、今回の人気投票の存在も知っていたのだが、その人気投票には何か裏があるとの噂が。
 去年優勝した男子生徒は、人気投票での注目度が下がると……途端に姿をくらましてしまったのだという。気づけば、その生徒の名前は卒業式の時の名簿には載ってなかった。姉さんの友人曰く、その生徒の父親が突然、転勤をするという理由で他の高校に転校したということになっているが本当のところは分かっていないとか。
 陰では、人気投票で優勝になった腹いせに誰かから嫌がらせを受けていたとか、そもそもその人気投票自体がそのために作られたのではという説もあるらしい。懲らしめるターゲットを絞るという意味で。
 まあ、俺を体育館に連れてくるためにわざわざ誘拐じみたことをする生徒会なら、それも何だか頷ける内容だった。
『だから気をつけなさいよ。もしかしたら、今もこうしているのを誰かに見られてるかもしれないから』
 と、姉さんに笑いながら言われた。
 まあ、それが実際にあるのなら不憫ではあるが……今は何も起こっていないので、何とも言えない。
 でも、姉さんに教えてもらったことは胸に刻んでおくことにした。
「さてと、寝るか……」
 洗面所で歯を磨いて、トイレを済ませて……自分の部屋に入り電気を消そうとしたときだった。
 ――コンコン。
 すぐ後ろでドアのノック音が聞こえた。
「誰だ?」
「あかりだよ」
 穏やかなあかりの声が聞こえた。
 ゆっくりとドアを開けると、そこには枕を持つ寝間着を着ている妹の姿があった。
「どうした? あかり」
「……お、お兄ちゃん。今日、一緒に寝てもいい?」
「……」
 恥ずかしそうに言う妹のお願いに、俺はすぐに返事を返すことができない。
 あかりは高校生になったばかりだが、高校生の妹と一緒に寝るということを、たとえ兄だとしても俺はしていいのだろうか。
「お姉ちゃんの話を聞いてたら怖くなっちゃって……」
「ああ……」
 男に襲われる云々の話か。まったく、姉さんも余計なことを言ってくれたな。
「だから、一人じゃ寂しくて……」
「そうだな。まあ、あかりがいいって言うなら俺は一緒に寝てもいいぞ」
「うん!」
 怖いって言うなら寝てやらない他はないか。
 そういえば、俺のベッドは先月、セミダブルに買い換えたばかりだ。だけどその時、あかりがやけにセミダブルを俺に勧めてきた。確かに広くて快適だけど、もしやこういう時を想定してたんじゃないかと今更になって思った。
 そんな張本人であるあかりは、もう既に俺のベッドに入っていた。あかりは俺の方を向いて横になっている。
「じゃあ、電気消すぞ」
 部屋の電気を消すと、部屋の中は月明かりで辛うじて物があるかないかの区別ができるくらいだった。
 俺はゆっくりとベッドに入り、同じ布団をあかりに掛けていく。
「あったかいね」
「そうだな」
「こんなにお兄ちゃんの近くで寝てると、何だかドキドキしてくるよ。何だか眠れなそう。私から一緒に寝よって言ったのにね」
「だったら自分の部屋に戻れよ」
「そ、それはいやっ! だって、怖いんだもん……」
「姉さんの話なんて本気にするな」
 まったく、どれだけピュアな妹なんだ。まあ、それがいいところでもあるんだが。
「お兄ちゃん、私が寝るまでずっと起きてて?」
「……多分そうなるだろうよ」
「じゃあ、寝るね」
 それぞれの枕に頭を下ろす。俺は微かに見える天井を見上げていると、左側から何か温かい感触が。
「ご、ごめんね。お兄ちゃん」
「別にいい。この広さじゃ少し動いただけでどこかしらはくっつく」
「じゃあ、腕……掴んでてもいい?」
「ああ」
 あかりの方に顔を向けると、そこにはとろんとした表情の妹の顔がすぐ側にあった。そして、俺が答えている側から既にあかりは俺の腕を掴んでいた。その感触は柔らかい。
「まったく、あかりは甘えん坊だな」
「ふにゅっ……」
 何だよ、眠れないとか言いながらさっそく寝そうになってるじゃねえか。
 俺の左腕を抱き枕代わりにしているのか。しかし、この感触も生徒会に誘拐されたときのことを思い出してしまうので、何だか嫌な感じだ。
 だが、今回はもうその腕を掴んでいる相手がぐっすりと眠っている。その手を無理矢理離すことはできない。ましてや、姉さんの言う妹を襲うなんてこともな。
「おやすみぃ……お兄ちゃん」
「ああ、おやすみ」
 ほのかに香るシャンプーの香りがベッドの中を包み込んで。
 疲れが功を奏してか、俺は間もなく眠りにつくのだった。


第5話に続く。
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